レーシック 手術の小ワザ公開
われらが世代のエースにして日頃から敬愛してやまないSさんの著書に「病気にならない生き方」(S出版)という大ベストセラーがあります。
これまで人類は、健康で長生きするために、あらゆる知恵をしぼってきました。
たしかに、病気にならない生き方ということは、私たちの大いなる願望には違いないでしょう。
しかし、生老病死というくらいですから、病といえども人生の一部であり、多かれ少なかれ、これを避けては通れないものと考えることもできます。
そもそも、一口に生老病死といっても、人類の歴史始まって以来の大命題です。
お釈迦さまはいうまでもなく、ソクラテスもプラトンも、老荘も孔孟も、その生涯をかけて、生老病死と格闘してきたのです。
生老病死が一つとして欠けることなく揃って、私たちの人生はワンセットです。
いくら死を忌み嫌っても、やがて必ず死は訪れてくるのです。
同じように、病もまぎれもない人生の一部と考えたらどうでしょうか。
もし、そうだとすると、「病気になってからの生き方」もふだんから考えておいたほうがいいようです。
そこで、半世紀に及ぼうとする、がん治療の現場での経験の中で、私なりにつかんだ「病気になってからの生き方」を書いてみることにしました。
人間は、「からだ」「いのち」「こころ」から成るといわれています。
「からだ」は目で見て、手で触ることのできる肉体です。
しかし、「いのち」とは何か、「こころ」とは何かということになると、目で見て、手で触ることができないだけに、とらえることが難しいですね。
今のところ、私はこう考えています。
ある限られた空間にある物理量が連続して分布しているとき、これを「場」と呼びます。
電気と磁気が分布していれば電磁場ですね。
私たちの体内にも電磁場が存在しています。
それだけでなく、体内にはより生命に直結したものとして、気のようのものが分布し、「からだ」に注目して、これをいたわりつつ、病を未然に防ぎ、天寿をまっとうするというのも一つの生き方でしょう。
実際、従来の養生はこれでした。
未病といえば聞こえはいいですが、それだけではなんとなく消極的ですね。
守りを固めるといった風情で少し物足りない感じがします。
しかも、死をもって終われりというところがつまらないですね。
高揚感がないのです。
一方、「いのち」に注目するとどうでしょう。
「いのち」、つまり生命場のエネルギーを日々高めていき、死ぬ日を最高にもっていく。
その勢いで、生命場を爆発させて一気「気場」のようなものを形成していることは十分に想像できることです。
その他にも何らかの物理量がいくつも存在しているかもしれませんので、これらをすべてひとまとめにして「生命場」と呼ぶことにしています。
この生命場のエネルギーが「いのち」、生命場の動きが脳細胞を通して外部に表現されたものが「こころ」、と考えています。
すると、「こころ」の本体も生命場ということになります。
考えただけで、「心」のときめきを感じませんか。
病気になったからといって、この基本路線を崩すことはありません。
病というくらいですから、多少の修正は強いられるとしても、これまで通り、のびのびと攻めの養生を貫いていけばよいのです。
「病、大いに好しこれもわが人生の一つの転機だ!」と考えたらどうでしょうか。
ピンチのあとにチャンスありです。
私が今でも敬愛してやまない哲学者の故Iさんが「K哲学」(M新聞社)の中で、こう言っています。
人間は誰でも、よりよく生きたいと思っています。
よりよく生きることとして、私たちはともすれば溌刺とした輝かしい生き方を想像しがちです。
しかし、それは生きとし生けるものの宿命である生老病死の生のみを考えているにすぎません。
人は誰しも、この世に生を享けた以上、生と老と病と死の四つのステージを経て、死後の世界に突入していくのです。
「みなさん、ありがとう。
Y君、ご苦労さまでした」Sさんは、そう自分の名前をいって静かに息を引き取りました。
八○歳でした。
私は、これを聞いたとき、心の中で「やったあ!」と快哉を叫びました。
人の死を前にして不謹慎などとは少しも思いませんでした。
生老病死のどのステージをも、同じようによく生きた芸術作品をみる思いだったのです。
老いること、病になること、死ぬことは、間違いなく私たちの人生の一部です。
にもかかわらず、老と病と死の三つを他人事のように思っていないでしょうか。
生のみに執着し、この三つを無視するのは、人生の四分の一しか生きていないことになります。
よりよく生きるうえで、それは何ともったいないことでしょうか。
自分の一生は、大きな時空間の中でひとつのプロセスとしてとらえることが大切です。
自分は健康だ、病気とは関係ないと自信を持っている人もたくさんいるかもしれません。
今は健康についての知識は溢れていますから、「病気にならない生き方」を選び取っていると思っている人も多いでしょう。
それらの多くの知識は「〜してはならない」「〜するべきだ」というものです。
そのため、心や体に無理を強制したり、毎日の生活を極端に規制したりすることにならないとも限りません。
病気を悪いことのように退ける生き方は好ましくありません。
ですから、病気になったからといって、人間は病気をするもの病気になることも一貫した人生の修行のひとつそれまでの生き方を突然変えるわけにはいかない病気になっても、その人本来の生き方があるこうした「病気にならない生き方」は、とても不自然に思えてならないのです。
生老病死という苦が、人間の決められた運命であるとしたら、病だけまぬがれるということはあり得ません。
病気に対して、積極的に治療に取り組む人もいれば、静かな気持ちで淡々とした人もいます。
ですから、治療する側もこの容態ではこの治療法というように、固定的に決めることはできないのです。
病気に対する向き合い方は、個人個人でそれぞれ表面的に異なっていても、共通の心のあり方があるはずです。
それは、ゆるぎない希望であり、病になっても自分らしく生きていこうとする強い意志ではないでしょうか。
人生のステージの貴重な時間をムダにしないためには、健康な人と同じように生きることが大切です。
そのためには、心が後ろ向きになってはいけません。
病という人生のプロセスで、体の健康を取り戻すだけでなく、心の健康を取り戻していくようにしましょう。
病気とは、辞書によっては「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来たし、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」(広辞苑)であるとされています。
長く生きていれば、特別な原因はなくとも老化などにより生理状態に異常をきたしてくるのは自然の理です。
誰でも病気とはいえないまでも、身体に不調をきたすことがあります。
この場合、自覚症状があって検査をすると何も見つからない病気は市民たる者の義務のひとつ健康と病気を相対立して考えないことは、自然とはいえないでしょう。
こうしたニ極論は、自分の一生を連続したプロセスとしてとらえていないのです。
未病を含んで考えると、病気ひとつしないで死のステージを迎える人はごく一部の人にすということもあるでしょう。
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